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創作・歴史系サイト「魔女ノ安息地」の更新状況や、 メッセージへの返信、その他日常の雑記の書き込み場所です。
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今年初めての更新は仲麻呂考察の続きです。
ちょびっとだけね。
彼の絶頂期はこれで終わりで後は転げ落ちるばかり。
本当に彼は調子に乗ってて、他人のことが考えられなくて、
どうしようもなく自分勝手な奴なんですが、
ものすごく理解してやりたくなるのは何故なんだろうか。
(↑ものすごく上から目線です、夕陽さん)

きっと仲麻呂は寂しい奴なんだと思います。
自分のことしか信じられなくて、
自分で操れる範囲のことしか考えられなくて、
それ以外の要素が入ってくると排除するしかなくて。
そして、心のキャパシティが狭いくせに頭だけは回るから、
自分のできる範囲でドタバタしちゃってるんでしょうね。

彼は間違いなく悪人。どうしようもない。
でも、理解したくなるのです。
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仲麻呂考察以上の亀更新となっている
吉備皇女考察を更新しました。
…と言いつつ、実は進んでいません。
編集、書き足し、書き直し。
やっと氷高皇女が即位したので、
ここから先は吉備皇女に活躍してもらいたいのですが、
何せ本人に関する資料が少ない割には
最期だけははっきりしている人なので
妄想するにしてもなかなか難しいです。
気長にお付き合い頂けましたら幸いです。
お久しぶりの歴史街道の更新です。
もう、仲麻呂考察に何年てこずっていることやら。
ようやく仲麻呂が藤原恵美押勝になるところまで辿り着きました。
ここが彼の栄華の頂点です。
あとは凋落の一途となりますが、丁寧に考察していきたいと思います。
お付き合いの程、よろしくお願い申し上げます。
ご無沙汰の歴史街道更新。
仲麻呂から逃げて吉備様、です。ハイ。
どちらの考察も重いので気力が削られるのですが、
それは二人に共通する「過去へのコンプレックス」が
要因ではないかと思います。

仲麻呂は藤原氏を朝廷を牛耳って好き勝手して、
自業自得で自滅した人と言われています。
それは事実ですが、そこに至るまでの
子供時代~青年期のコンプレックスがなければ、
違う人生があったのかもしれません。

吉備様については、他の方の漫画や小説を読んでいると、
女の幸せを手に入れて満足しているとか、
息子への皇位継承を求めて高飛車に振舞うとか、
私の吉備様のイメージとはかなり違うようです。
私の考察は眉唾なので当てにならないですが、
彼女が自分の幸せや確立された立場を手にしていたか、
という部分がどうにも違うような気がするのです。
皇位に近いようで遠い、関係ないようで関わらざるをえない、
そんな複雑な立場にあり続けた人です。
倭女王の考察にも書きましたが、史実に載らない場所で
吉備様にも幸せに思えるときがあった。そう信じたいです。
かれこれ4年半も放置していた吉備皇女の考察を
やっとこさ更新いたしました。
仲麻呂考察がなかなか書き進まないので、
そこから逃げた結果が……いえいえ、何でもないです。
(そう言えば昨日も、繕い物が面倒くさくて
突然台所の掃除に励んだ自分が居りました……)

私の妄想なのですが、吉備様は草壁様の負の遺産と言うか、
父親が心に抱えた闇を受け継いでしまった人だと思っています。
草壁皇子は闇に耐えられず自ら命を絶ってしまったけれど、
吉備皇女は粛々と定めを受け入れ、命をかけて
父の守れなかったものを守ろうとしたのではないでしょうか。
草壁様と違って大王になる道が無かったが故に、
運命を受け入れられたのかもしれませんけれどね。

これから長屋王の変に向けて、辛い歴史が続きますが、
どうかお付き合い下さいませ。
って、次の更新はいつ??……我ながら不安です(苦笑)
寒いですー。としか、出てこない今日この頃。
休日を良い事に、今日は家でゴロゴロしていました。
最近どうも頭の前の方の頭痛が酷いのですが、
一回検査した方がいいのかしら???

さてさて、長丁場の仲麻呂考察を更新しました。
今回は仲麻呂の結婚相手とその家族について、です。
阿倍ちゃんもようやく即位しましたが、
仲麻呂は既に44歳になっています。
今回の考察で年表をつくるまで、仲麻呂はもっと若い頃から
長い間にわたって活躍していたイメージがありました。
でも、表舞台に派手に動き出したが44歳の時で、
59歳には殺されているようです。
様々な陰謀も若気の至りで~、とかではないんですね。
いい歳した大人が……と思わんでもないですが、
まあ今の政治家の暴走も変わらないですな。

死までの15年分、彼が表に出て来ているので濃密な考察になりそうです。
どうぞよろしくお付き合い下さいませ。
仲麻呂考察、チョコチョコ直しつつ更新しました。
やっとこさ彼の最初の暗躍まで辿り着きましたよ。
この時点で、彼はもう39歳なんですね。
もっと若いことから躍動していたように思っていたのですが、
長い間、何をしていたかわからないような人だったのか……
仲麻呂は59歳で斬られますから、
最後の20年間が彼の悪人生活(?)だったんですね。
今週は晶さんとデートです。
今話題のあべのハルカスに
東大寺展を見に行ってまいります!

その前に、と尻に火がついたように昨年秋の
談山神社紀行を書くという…本当にダメな人だ、私。
切羽詰らないとやらないんだもの、まったく。

記憶も定かで無く、思い出すのに時間もかかるのですが、
あんなことがあった、こんなこともあったと
思い返すのなんとも楽しいものです♪
で、時間が無くて途中までに(汗)

まだまだ書きたいことがございますので、
近々続きにもお付き合いくださいませ。
お久しぶりの藤原仲麻呂考察。
多分、まだ20%も終わっていない。ウフフ(遠い目)
まだまだ戦います!(=頑張って書きます)

仲麻呂の性格造形を考えていると、
本当に捻くれた人生を送っているなあと辛くなります。
歴史にIFはありませんが、
違う環境に違う立場で生まれていたら、
悪人に堕ちる事なく、凄い業績を立てられたのかも。

いや、逆にそういう歪みまくった性格になったから、
大胆に騒ぎを起こせたとも言える。
有利な環境にあったら、ボンクラな人生だったかも。
それはそれでつまらない!

やっぱり悪人だから藤原仲麻呂は魅力的なのかな。
何だか複雑な気分です(苦笑)
問:書けば書くほど、こんがらがる。これなんだ?
答:藤原仲麻呂考察

すみません、仲麻呂ノイローゼです。
こいつの面倒臭さに辟易してきました。

曽祖父の鎌足さんは相当な曲者です。
でも、仲麻呂考察の面倒臭さは
鎌足さんの場合とはちょいと違う。
係累が多すぎるんですな、仲麻呂は。
兄弟も多い、妻も多い、子供は超多い、
親戚はめちゃめちゃ多い!
あーもー、調べても調べても切が無い(涙)

続きを書こうとして、新事実を見つけては
家系図と年表に追加→ここで力尽きる→考察が進まない。

やれやれ、いつになったら進むんじゃいな?
仲麻呂考察、1年ぶりです。
しかも本人までまだ辿り着いていないという…

いや、仲麻呂の名が歴史上に出て来るのが
彼が30歳くらいになってからなのですよ。
それまでに時代背景を考察しておかないと
彼が台頭できた理由が説明できないのです。
関係ないところに寄り道している気がしなくもないですが、
それはまあ、いつものことですね(笑)
今日は初めて大阪市中央図書館へ行って来ました。
なかなか綺麗な図書館で、休日一日籠もっていられそうです♪
うちからは地下鉄を乗り継ぐので、ちょっと遠いですけどね。

上限の8冊、目一杯借りてきました。
その内4冊は万葉集もの…あらまあ、歌嫌いの夕陽さんが珍しい!
たまたま万葉集の本が並んでいるコーナーの前を通って、
「へえー、こんなにも万葉集の本って出てるのかい!?」と
吃驚してしまい、その驚きの為すがままに借りちゃいました。

柿本人麻呂とか大伴家持とかの有名な歌が色々ありますが、
まず注目してしまうのは皇族・王族・豪族関係のお歌です。

で、さっきから大津皇子が詠んだ歌に首っ丈。
「大船の 津守が占(うら)に 告(の)らむとは まさしに知りて 我ふたり宿(ね)し」
注釈には石川郎女との逢引がばれた時に、大津皇子が「だから何?」と
開き直った歌と記されているようなのですが…
この逢引がタブー視されるためには、草壁様もまた石川郎女に恋していて、
恋の三角関係が発生していないとならんのですよね。

しかし、この三角関係は後世の創作ではないでしょうか。
私は大伴家持あたりのロマンチストが作り出した妄想だと思っています。
折角の機会なので、この歌が生み出された経緯などについて
考察してみようと目論んでいます。
完成しましたら、私の妄想考察にお付き合いいただけましたら幸いです。
家持の妄想と真っ向勝負じゃー!!
やっと今年始めての更新です。
阿部ちゃん所縁の地巡り…
行ったのは去年の5月です、はい。
まだ2箇所目の法華寺までしか書けてないぞ!
急げー急げー!⭐

色々書きかけのアレコレを完成させねば。
うーん、一番仲麻呂考察が苦戦しそうな予感。


調べ物にはGoogleやYahoo等で検索なさいますよね。
ネット検索のおかげで情報探しが楽になりました。
もっとも大量の本やメモが不要になるわけじゃありませんが、
しかし便利な物は便利で、もう無いとやっていけません。

しかし、ネットの怖いところは載っている情報が
必ずしも正確ではないということです。
真偽の裏づけが取れない情報を誰でも簡単に
公衆の場で発言できてしまいますからね。
あくまで「個人の意見だよ」と明記する必要がございます。
私自身も歴史考察トップページに下記の文言
「考察の根拠は家系図と年表と妄想です。」
を入れておりますが……

恐ろしいことに気が付きました。
検索サイトで飛鳥奈良時代の著名人の名前を検索すると、
うちの各考察が検索結果1ページ目でHitしている!?
草壁様&忍壁についての記事はそう多くは無いだろうし、
阿倍ちゃんの場合は普通は天皇名で検索されるだろうから、
まあ私のサイトが検索されるのも有り得るかと思っていましたが、
高市皇子は意外でした。あ、十市皇女もHitした…
ギャー、間人皇女まで1ページ目に入っちゃった!?
蘇我蝦夷もですな。古人皇子に至っては上から3番目。
そんなにマイナーな人だったの、アナタ達!?

歴史好きでなくても知っているような蘇我入鹿と大津皇子は
Hitしないだろうと高を括ったら、もう少し後ろのページに居ました。
さすがに有間皇子は最初の方には見つからず、安心。

私の眉唾考察を信じちゃったらどうしよう…
「これは妄想!」って各ページにでっかく書かなくては(冷汗)
これからちょこちょこ追記していきます~

そして、飛鳥奈良時代がいかにマイナーなのか
思い知らされました…(泣)
磐余池(いわれのいけ)の堤防らしき遺跡が
発見されたそうですね。
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011121690001320.html

磐余池の辺りと言うのは、用明天皇(厩戸皇子のパパ)の宮が
あったとされている場所なんですね。知らなかったです。
私には大津皇子の辞世の句の印象が強いものでして。

しかし、大津皇子の自害がクローズアップされると
ものすごく憂鬱になる草壁様Fanのワタクシ。
自害の理由として、草壁皇子を大王にするために
有能で人気のあった大津皇子が犠牲になった、
みたいな解説を書かれるとゲンナリします。
草壁様が悪く無いでしょうーが!と叫びたい本日です。

もっとも、ご本人はあの世で何処吹く風といった様子で、
全然気になさらないでしょうけどね(笑)
「実際、大王になりたくなかったしね」とか言っちゃって。
忍壁皇子が呆れて「またそう言う事を言う~」とか
お説教していたら楽しいです。
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夕陽
性別:
女性
職業:
人間!
趣味:
小説を書くこと(妄想?)
自己紹介:
ぐーたら生活X年目。歴史好きの小説好き。でも、難しいのは駄目です。
好きな方々(敬称略・順不同):
(作家)柏葉幸子、久能千明、永井路子、柴田よしき、桜庭一樹
(歌手)TWO-MIX、倉木麻衣、中島みゆき、天野月子、The Gospellers
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