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大津皇子は"悲劇の皇子"らしいです。
一般的な観念ではね。
私はそうは思いません。
遺された大伯皇女が"悲劇の皇女"というのは
おかしい表現ではないと思いますが。
彼の死は用意されたものではなく、
自分で起こした行動の結果でした。
政権内に自らの居場所を広げるために、
あるいは大王になるために、
大津は行動を起こさなければならないと
自分を奮い立たせていました。
当時の政策をよく思わない若者には、
大津の存在は格好の象徴でした。
明治時代に自由民権運動に乗じた
若き活動家と似たような状況でしょう。
若さというのは、ある意味で魅力で、
そしてある意味で魔力です。
何でもできるような錯覚に捕らわれてしまって、
取り返しのつかないものを失うまで
気がつくことができない怖さがあります。
もし彼を正しい方向へ導く人がいたならば…
いえ、この言葉は適切ではないですね。
"正しい"のではなく"安全な"道というべきでしょう。
そんな道で大津が満足したとは思えませんが。
私は大津に対する鵜野讃良皇女の処置は
適切なものであったと思っています。
豪族の力を纏め上げ、統一された観念の下、
安定した政治を築くためには、
ロイヤルファミリーの中での揉め事など
あってはならなかったはずです。
でも、もし大津の状況に早く気がついて、
互いに歩み寄る態度を見せたならば、
歴史は違うものになっていたかもしれません。
鵜野讃良は状況を知った時点で
大津を見限ってしまったことが、
「悲劇」とやらに繋がったのではないかと思います。
責められるべきは誰でもないのでしょうね。
好きな方々(敬称略・順不同):
(作家)柏葉幸子、久能千明、永井路子、柴田よしき、桜庭一樹
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